ディーツゲン『人間の頭脳活動の本質』  五 「実践理性」或は道徳 2006年8月4日 【a】賢いもの、理性的なもの 理性の法則=理性は感覚的に与えられた対象を必要とする  →これを理解しなければ、対象のない思惟(思弁哲学の方法)は止まない 理性…特殊なものから一般的なものを引き出す能力=認識を対立によって発展させる    世界の諸々の対立を相互に計り、和解によって一致させる       →計るためには一定の尺度が必要 道徳的領域においては、尺度をもっていない → 科学的一致がない 道徳的真理の尺度=欲望の多い人間  →理性の課題…感覚的に与えられる欲望の中から一般者を発展させること 真の=一般的  理性的=合目的的 目的は合目的的なものの尺度である 一定の時期・人間・階級・民族 + 一般的な目的 → 何が理性的かが明確になる 【b】道徳的正 正一般=我々が思考力によって種々の個別的な正の中から取り出してくる純粋概念 現実の正=特殊の正。一定の状態の下で、或る時代において、或る民族にとってのみ正 道徳(正の規定)は実践的な目的をもっている 一定の人間・階級・民族、時代と状況に限定された法則のみが実践的価値を持つ 正と不正の区別は絶対的ではなく、条件次第で相互に転化する 道徳の生まれる根拠…個人では不十分であり、他人との協同を望むこと 所与の量の感性界なしに正を求めようとするのは、思弁である 人間の行為がどの位有益であるかという量が正と不正との区別を決定する 科学的一般的な正は所与の感覚的前提を基礎として一般者の決定が行われる 制定された法則は、特殊の正ということだけでは満足せず、正一般であろうとする  →進歩の仕事…一般者という横領していた土地からその特殊の境内へ追いかえすこと 【c】神聖なもの 進歩した道徳論=「目的は手段を神聖にする」 手段と目的は相対的な概念  目的=全体、一般的なもの、手段の総和  手段=部分、特殊なもの 目的の目的・最後の目的=人間の福祉 福祉=神聖なものの根源および根拠 いかなる手段・行為も自体的に神聖なのではなく、与えられた関係によって神聖になる   =神聖な目的が手段を神聖にする 人間の福祉に適う限りにおいてのみ、手段・目的が神聖になる  →最高の目的と矛盾する全ての手段は悪   一般に悪い手段も一時的・個人的福祉と関係すれば、一時的・個人的に神聖になる 理性が神聖なものを決定するためには、与えられた感覚的状態・事実が前提として必要          ○特殊的に、後天的に、経験的に決定          ×一般的に、先天的に、思弁的に決定 キリスト教の世界観=キリスト教の命令は無制限に絶対的に、永遠に善           キリストの啓示が善といったから善  →しかし今日ではこの信仰を実際は捨てている   目的は手段を神聖にすることが事実上認められている 福祉の要求…非本質的・ヨリ少く必然的なものは本質的・必然的なものに従属する 目的は手段を神聖にする=倫理学においても投下資本が儲けをえなければならない 一般的な福祉…実在しない        理性が、感覚知覚によって与えられた福祉から抽象した概念         →一定の・与えられた・前提にもとづいている 現実の福祉は多様であり、真の福祉は主観的な選択である 利害=ヨリ多く具体的な・現在の・明白な・福祉 義務=広い・特殊のことも考える・一般的な・福祉 我々の戦い…一定の形態を絶対的の形態・道徳一般にするところの不遜に対して