ディーツゲン読書会                              2006年7月9日(日) 第4章 自然的科学(physische Wissenschaft) における理性の実践 ○現代自然科学批判 現代の自然科学は「理性の実践=物質から思想を、感性から認識を、特殊なものから一般的なものを産み出すこと」 を承認しているが、それは「実践的に」に過ぎない。思惟過程・認識能力の正しい理解に基づいているわけではない。 従って、比較的小さい諸量を取扱う場合はよいが、大きな自然的関係になると、思弁的方法(=理性から統一を見出 すという方法)をとってしまい 、結果、意見の一致を見ない。「手探り」状態になってしまう。つまり、現代の自 然科学の実践は「科学的の」実践 ではない。 ○本章の意図 ・大きな自然的関係(原因と結果、精神と物質、力と質料)もまた全く同じ方法(=帰納的方法、一般と特殊という 捉え方)で認識されるべきであるということを証明する ・理性とその対象との間の最も一般的な対立が、大きな諸々の対立を解く鍵を与えることを明らかする (a)原因と結果 ○「先天的」科學と自然科學における原因   「先天的」科學:擬人的な概念、「事物自体」、思惟能力の創造     ? 自然科学:結果の理論、現象の普遍的なもの → 原因の研究=問題になる諸現象を概括し、経験の多様性を科学的規則の下に一括すること ○原因と結果の関係  ・原因と結果は同体(機能と実体の関係と同じ)  ・思惟能力によって分離される ←科学的に活動するためには必要     理性が諸々の変化(結果)から真の原因を産み出す (理性の本質:特殊なものの中に一般的なものを見出す) ○一般的原因と特殊の原因   ・一般的原因:理性の観察によって制約される。材料は特殊な原因の多様な認識。     ?  ・特殊の原因:材料の経験的観察によって制約される   → 一般的概念の分析のためには、特殊な原因認識へ帰らなければならない。 ○分析した結論 ・どれだけの量の現象が考察の範囲内に入るかによって原因は絶えず変わる。      ex. 風によって岩・壁が動かない原因=岩と壁の堅固である性質                       微風であること(暴風現象を考察の範囲内に入れた場合) ・順次に継起する現象のある与えられた範囲内においては、一般に先行するものが原因である。        ↓ 原因とは感覚的変化(現象・経験・結果)を精神によって一般化したもの (b)精神と物質  キリスト教時代以後、感性界に対する反感が存在したが、近代自然科学の発達に伴って、客観的実在は復権しつつ ある。しかし、精神的なものは感覚的であり、感覚的なものは精神的なものであるという理論的解決、媒介、証明が 欠けているため、悪評からの解放には至っていない。 科学者は物質に対して反感を抱いてはいないが、それだけでは不充分である。科学は物質(感性界・自然・質料)そ のものではなく、物質における一般的なものを求めている。 ○観念論と唯物論の対立 唯物論  物質と精神の区別(特殊と一般の区別)を承認しない  認識の源泉は感覚的に与えられた世界 観念論  物質と精神の区別を絶対的のものと考える  認識の源泉は理性のみ 徹底した唯物論者(純粋の実践家)はありえない。 →「実験技術」も科学的実践も、分量・程度の差はあれ、何らかの知識・思惟に則っている 徹底的な観念論者もありえない。      → 自然科学者は、真理、存在或は相対的なものを対象にしている                ↓  ・物質と精神という区別は、特殊のものと一般的なものという一つの区別の下にその主として共に属す  ・感覚的に与えられた世界と理性の2つの認識源泉は相互に制約し合っている (c)力と質料 ○(a)(b)から予測されること 力と質料の問題は一般的なものと特殊なものとの関係の洞察の中にその解決を見出す ○観念論と唯物論の対立   観念論:力を質料から区別する   唯物論:力がなければ質料がなく、質料がなければ力がない、両者の区別を無視する          ↑(科学的に媒介)  ・具体的な感性界においては、力と質料は分かれていない    「私が触れるのは質料であって力でない」「私が触れるのは力であって質料でない」 という2つの命題は共に真  ・感覚的多様性の中から一般者を発展させる働きをもつ理性によって、質料から力を区別する      ex. 水の多様な現象→水力、種々の馬→馬力    → 質量と力との区別は、具体的なものと抽象的なものとの一般的区別に帰着する ○疑問点・論点 ・一般的な原因と特殊な原因とは何か?   →例えば波紋の原因であれば、水の弾力性が一般的な原因で、石が特殊な原因と考えればいいのか?    「波紋にはいつでも落ちる石が先行するとは限らない」(p.81)→ 石は特殊?    「どれだけの量の現象が考察の範囲内に入るかによって絶えず変わる」(p.81)から、      水だけで考えた場合、石などの落下物や風など、水に加わる力は波紋の一般的な原因?      氷も考察に入れると、そういった力だけでは波紋が起きないこともあるから特殊な原因になる?      一般的な原因は水の弾力性? ・「自己自身を把握する思惟能力」(p.77)とは何か? ・「量」「質」とは?    「観念論は量的区別の上に質的統一があることを忘れている」(p.88)と「実践・現象・感性は絶対的に質的 である」「思惟能力の作用すなわち理論は絶対的に量的であり、・・・いかなる質の感覚的現象をも量として、本質、 真理として捉える」(p.56)とを比べた時、「量」「質」の意味が変わっていないか?「量的区別」「質的統一」と いう言葉に違和感を覚える。 ・「物質の覊絆からの解放」(p.89)や「物質的牽引力」(p.90)とはどういうことか?     覊絆=行動を束縛するもの。足手まといになるもの。      →「物質の覊絆からの解放」とは大量の事実(物質)に埋没している状態から、その中に法則性(精神) を見出して抜け出すこと?p.90の「その多様性が克服されれば、物質は精神にとってもはや『覊絆』ではなくなる」 という記述がヒントになる?     *森田勉訳では「物質のきずなからの解放」「物質の魅力」となっている ・精神はもともと非物質的なのではないのか?   「近代の精神、自然科学の精神は、それがすべての物質的なものを包含する限りにおいてのみ非物質的である」 (p.89)とあるが、何故わざわざ非物質的であるための条件が必要なのか? ・自然科学者が「存在或は相対的なものを対象にする」(p.89)ことが、徹底的な観念論者がありえない理由になる のか? ・自然「的」科學とは何か ・自然的なものと物質的なものはどう違うか?    「この対象は全ての自然的なものと物質的なものとの総和であることを知った。」(p.73) ・地球がなければ太陽はない(p.95)とはどういうことか? 人物紹介 ・アレクサンダー・フォン・フンボルト(Friedrich Heinrich Alexander, Baron Von Humboldt, 1769 - 1859) ドイツの博物学者兼探検家、地理学者。プロシアの首相であり言語学者のヴィルヘルム・フォン・フンボルトの弟。 近代地理学の金字塔、大著「コスモス」を著したことは有名。カール・リッターとともに、近代地理学の祖とされて いる。またゲーテやシラーなどとも親交があったことで知られる。 ・フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel, 1784 - 1846) ドイツの数学者、天文学者。恒星の年周視差を発見し、ベッセル関数を分類したことで知られる。 ・デイヴィッド・ヒューム(David Hume、1711- 1776) スコットランド・エディンバラ出身の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治思想家。スコットランド啓蒙 の代表的存在とされる。ヒュームはそれ以前の哲学が自明としていた知の成立根拠を問い、人間本性がなにかについ ての知に達することが原理的に保証されていないと考える徹底的な懐疑論を打ち立てた。 主著は『人性論』。 ・ユストゥス・フォン・リービッヒ男爵(Freiherr Justus von Liebig、1803 - 1873) ドイツの化学者。有機化学の確立に大きく貢献した、19世紀最大の化学者の一人。この著作の中では、 思弁に落ち込む代表者のような扱われ方をしている。